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瞽女

瞽女について

 「瞽女」とは盲目の女性芸能者のこと。

 「瞽」は鼓の下に目、「女」を組み合わせて「ごぜ」と読みます。鼓という文字が使われるのは、三味線が日本に入ってくる前から、鼓を打って唄をうたっていた女芸人(瞽女)が存在していたことを意味しています。室町時代の「七十一番職人歌合」に描かれた「女盲」は、琵琶法師とつがいで登場し、鼓を携えていました。

 「瞽女」と書いて「ごぜ」と読むのは「御前」に由来するからとされています。「静御前」の御前です。義経の愛した静御前は「白拍子」とも呼ばれる、歌舞をする遊女でした。「白拍子」の起源は巫女ともいわれます。瞽女さんにも繋がることばといえるでしょう。

 瞽女さんは一年の大半を、村々を回る長旅の巡業で過ごしました。村の人々は決まった時期に訪れ、物語や歌謡を聴かせてくれる瞽女さんを心待ちにしていたものでした。中世の瞽女は寺社の門前や境内で神仏の霊験話などを語っていたようですが、近世の幕藩体制では安定した身分が保障されたことから、定住し、仲間集団を作って、周辺の村々を訪ねて歩くようになりました。ところが近代になると、それまで幕府がとってきた保護政策は一転。「非近代的な」門付け芸は各地で取り締まりの対象となり、瞽女の集団も消えていったのです。

 そうしたなかで近代に入っても瞽女集団が存続し続けた越後では、明治前期に700人前後の瞽女が存在したといわれています。越後の村々では長らく、一軒一軒、軒先を回って門付唄をうたい、瞽女宿と呼ばれた豪農の家に集まってきた多くの村人に物語唄を聴かせる瞽女さんたちの姿を見ることができました。瞽女さんたちは村の人々に「ごぜさん」「ごぜさ」「ごぜんぼ」などと呼ばれ、来訪を待たれる存在だったのです。

 瞽女さんのレパートリーは多彩です。門付け唄と呼ばれた短いものから、1時間にも及ぶ段物、さらに流行歌も民謡も取り入れ、村人を楽しませました。瞽女さんたちは目が見えません。ですからそうした唄はすべて記憶していたのです。そのことから瞽女さんは特別な能力があると考えられ、たとえば養蚕農家では蚕が喜ぶ(糸をたくさん出す)といって、お蚕様に瞽女さんの唄をきかせたものです。あるいは瞽女さんが門付けで集めたお米を「瞽女の百人米」とよんで、御利益があるからと買い求めたりしました。日本には神様は村の外から訪れるもの「来訪神」という考え方があります。瞽女さんは村に福をもたらすマレビトとして村人たちに迎えられた存在でもありました。

 瞽女さんは、村々を歩きながらいろいろな話を聞き伝えました。テレビはもちろん、ラジオも新聞もない時代、自分の村から出ることなく一生を終えた多くの村人たちにとって、瞽女さんはいまでいうメディアの役割も果たしていたのです。瞽女さんから聞く話はいつも新鮮で面白く、ときとしてためになるものでした。

 目の見えない女性たちは生活を律し、芸を身につけることで自立したばかりでなく、人々に歓びを与える仕事をしていたのです。長い間、かわいそうな存在、その人生は暗く苦しいばかりだったというイメージで語られてきた瞽女さんですが、村人との交流のエピソードからは全く違う瞽女さんの姿が浮かび上がります。瞽女さんが果たした役割を思うとき、私たちは本来の「共生」の意味を考えさせられるのです。

 瞽女さんたちの姿は、高度経済成長とともに越後の村からも消え、日本から消え、世界から消えてしまいました。今、私たちはわずかに残る資料や瞽女唄を伝えてくれる演奏者たちの活動から、瞽女さんたちのことを知ることができます。ときおり、最晩年の瞽女さんたちの演奏の録音を聞いたり、瞽女さんたちと出会った人たちの話を伺うこともあります。そうした経験をするたびに、あるいは資料を見、残された録音を聞くたびに、瞽女さんたちが私たちに残してくれた多くのことを学ぶことができるのです。現代社会が、今に生きる私たちが、見失いかけている、あるいはすでに失ってしまったたくさんの大切なことに気付かされます。「近代」あるいは「高度経済成長」以前の、瞽女さんたちがいた時代のことを振り返るきっかけを与えてくれます。

 さあ今こそ、瞽女さんを探す旅に出かけましょう!

「七十一番職人歌合」に描かれた「女盲」

杉本シズさん・杉本キクイさん・難波コトミさん

村々を回る長旅の巡業姿

出湯温泉で門付けするハルさん昭和35年夏

瞽女式目

ゆう・えんLLCと瞽女

 ゆう・えんLLC代表の私、斎藤弘美と「瞽女さん」との縁は2008年、伊東喜雄監督の製作した映画「瞽女さんの唄が聞こえる」との出会いがきっかけでした。それまでも民俗学や郷土研究の地方文書に出てくる文字としての「瞽女」や録音された瞽女唄を聴く機会はありましたが、この映画が描き出す瞽女の世界は私にとって新鮮で衝撃的でもありました。多くの人に見ていただきたいと思い、伊東監督に上映情報を伺ったところ、34分という短編映画のため一般上映はできないから、「ほかの人に見せたかったらあなたが自分で上映会を開くしかない」といわれてしまいました。そこで立ち上げたのが、もんてん瞽女プロジェクトです。主要メンバーは共同プロデューサーとして門仲天井ホール支配人の黒崎八重子さん、「瞽女さんの唄が聞こえる」を制作した伊東喜雄監督、ネット配信担当の向坊衣代さんと私。

 2010年度の1年間、6回シリーズで映画の上映とシンポジウムを開催し、最後は桜満開の上越高田への瞽女ツアーを実施しました。当時のHPはまだインターネットで見ることができます(*1)。とてもよくできていますので、ぜひご覧ください。

映画「瞽女さんの唄が聞こえる」

瞽女さんの唄が聞こえるチラシ

もんてん瞽女プロジェクト
画像をクリックしてチラシのPDFをご覧いただけます。

 2010年度のプロジェクト終了後も「高田瞽女の文化を保存・発信する会」とのつながりを深めていった私たちは、2013年10月5日、上越市高田で「瞽女さんの暮らしと地域の絆に学ぶ ~瞽女の文化を知る・伝える・発信する」というシンポジウムを開催しました。これは2012年に設立したゆう・えんLLC、最初の大きな瞽女イベントでした。会場は、1911年(明治44)に芝居小屋として開業した日本最古級の映画館、高田世界館(*2)。『瞽女さんの唄が聞こえる』の上映後のシンポジウムには、伊東喜雄(「瞽女さんの唄が聞こえる」監督)、ジェラルド・グローマー(山梨大学教授・瞽女唄研究家)、萱森直子(瞽女唄演奏家)、市川信夫(瞽女研究家・「高田瞽女の文化を保存・発信する会」会長)という豪華なパネリストが並びました。この時は高田の方々の協力を得て、「高田瞽女のゆかりの地を巡る」ツアーや雁木町家での斎藤真一作品展も同時開催されました。

 一方、北海道在住の斎藤真一コレクター池田敏章さんが、ご自身のコレクションを上越市に寄贈したのは2011年のこと。池田さんは2010年に開催されたもんてん瞽女プロジェクトに、なんと毎回、北海道から参加してくださっていたのです。後年、池田さんはこのイベントへの参加により、斎藤作品にとっての瞽女の意味を深く考えるようになり、上越市への寄贈を決意するきっかけとなったと話していらっしゃいました。そしてこの池田さんの寄贈は、瞽女文化の保存と継承を目的とした「瞽女ミュージアム高田」の設立へと繋がります。2015年11月3日「瞽女ミュージアム高田」開館(*3)。以来、ゆう・えんLLC代表の斎藤は池田さんとともに顧問を務めています。

 2011年もんてん瞽女プロジェクトの瞽女ツアー以来、ゆう・えんLLCでは2014年と2015年にはそれぞれ冬と秋の2回、「瞽女文化を体験するツアー」を実施しています。

「瞽女の文化を知る・伝える・発信する」シンポジウム

「瞽女さんの暮らしと地域の絆に学ぶ
 ~瞽女の文化を知る・伝える・発信する」
シンポジウム(2013年10月5日)
詳しく見る

もんてん瞽女プロジェクト

2010年度 6回シリーズで映画の上映とシンポジウムを開催
瞽女さんの唄が聞こえるチラシ

第2回現代に生きる伝統芸能 2010.6.13(左)、第3回瞽女と儀礼~民俗文化を読む 2010.8.8(右)

第1回瞽女唄の音楽性と伝承について2010.4.11

ゆう・えんLLCでは「瞽女」をテーマにしたイベントの企画運営に協力しています




「もんてん瞽女プロジェクト」HPより ~企画する二人のプロデューサーの言葉~


斎藤弘美(メディア・プロデューサー)

 一昨年秋、伊東監督から届いた「40年前に撮影した瞽女さんのフィルムをもとに映画を作りました」というメール。これが今回の企画の始まりでした。
 私は、小さな会場での内輪の試写会で出会った瞽女さんたちの貴重なフィルムに、心を奪われてしまったのです。34分という短い映画の中には、さまざまな見方のできる要素がいっぱい詰まっていて、まるで現代的テーマの玉手箱のようでした。
 たくさんの人にこの映画を見せたい!と思った私は、真っ先に、これまでさまざまなチャレンジを実現してきた門仲天井ホールの支配人・黒崎さんに相談。そこでできあがったのが、この6回シリーズの企画でした。
瞽女さんの唄を音楽という視点からアプローチする、ごく当たり前のテーマですが、アメリカ人のグローマーさん以外、ほとんど本格的に取り組んだ人はありませんでした。
 瞽女さんの芸については、実際にご自分でも放浪芸をテーマに演劇活動を続けている中西さんに。
 さらにこの映画は、瞽女さんの日常生活が描かれていることも重要なポイントでした。
 そこで映画からくみ取ることのできる民俗学的なアプローチを板橋さんにお願いしました。
 盲目の瞽女さんが芸人として働くことで生計を立て、地域に根付いて生活していたことも、現代の福祉を考える上で大変示唆に富んでいます。そこで、こうした視点から上之園さんに話のきっかけを作っていただくことにしました。
 さらにこの映画は現代社会に生きる私たちに、「瞽女さん」を通して見えてくる、さまざまな問題を提示しています。ジャーナリズムという視点からこの映画を見ると、何が見えてくるのか。この点を下村さんの切り口で話していただこうと考えています。
 最後に登場していただく市川さんは、高田で親子2代にわたって瞽女の研究をしていらした方。まとめにあたるこの回では、瞽女さんとともに生きてきた高田の、「瞽女さん」を核にした地域おこしについてお話しいただく予定です。

 今回の企画の大きなポイントは、制作者やゲストが観客と共に語り合う場を設けて、活発に議論し、考えていこうというところです。6回シリーズが終了したところで、ドキュメンタリー映画「瞽女さんの唄が聞こえる」が私たちに教えてくれるものが浮かび上がってくることを期待しています。

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黒崎八重子(門仲天井ホール支配人)

 2009年の8月、斎藤さんが伊東監督を伴って門天ホールにいらっしゃいました。
 一連のお話をお伺いしていざ解散という時に、伊東監督から”映画をご覧になる時間はございますか”と問いかけられ、その場でドキュメンタリー映画「瞽女さんの唄が聞こえる」を鑑賞させていただきました。34分の映像は、実に多くのことを私に語りかけ問いかけてくるものでした。
 映画に登場するキクイさんの瞽女唄に圧倒されながら、この映像を通して見えてくる日本の断片を切り取って深めてみたいという衝動がこの企画の出発点となりました。
 その後、伊東監督、斎藤さんと会議をすすめるなかで、会議への参加者はひとりまたひとりと増え続け、門仲天井ホール・瞽女プロジェクトとして活動を展開している次第です。
 世代を超えて、地域を越えて、理解し合うことがままならぬ時代だからこそ、この映画を肴に座談をしてみたいと願っているのです。

瞽女関連サイト

瞽女ミュージアム高田 http://www.goze-museum.com/
映画『瞽女GOZE』公式HP https://www.goze-movie.com/
萱森直子 HP「ごぜ唄と津軽三味線」 https://www.echigo-gozeuta.com/
月岡祐紀子ウェブ http://www.gozeuta.com/