昨年暮れの28日夜、MLに札幌の友人からの
「斎藤さんが?!」という投稿が…
彼女が夜中に朝日新聞の道内版を読んでいたら、
いきなり斎藤の写真が目に飛び込んできた、というのです。
実はこの記事、朝日新聞北海道支社の熊井洋美さんと石橋亮介さん、
2人の若い記者が7回シリーズで
「サハリン残留日本人の今」について伝えた連載記事の最終回でした。
とくに熊井さんはとても熱心に、私が引き継ぐことになった
新生 日本サハ
リン協会を取材してくださって、
これからの支援を、
新聞記者の目で暖かく見守ってくださる姿勢がとても印象的でした。
23年間続いた日本サハリン同胞交流協会は
中心になった方々が高齢になったため活動を終了することになっていたのですが
現実には、まだまだ支援を必要とする人たちはたくさんいらっしゃって
このまま協会をなくしてしまうわけにはいかない…という状況になっていたのです。
サハリン残留の方々、サハリンから永住帰国した方ばかりでなく
これまで自分たちの生活を犠牲にしてまで親身な支援を続けてきた方々のためにも
誰かがこの事業を引き継がなくては…ということで後継の組織を立ち上げました。
たまたま代表となった私を含めて
新たな組織の中心になってくださる方々の多くが
もともとサハリンには縁のなかった人たちです。
今まで活動を担ってきた方々が、サハリン出身だったり、サハリンに親族がいたり、と
何らかの形でサハリンに関係していたのとは大きく違っています。
そんな私達がなぜ、このように活動を引き継ぐことにしたのか、
私に関していうと、1988年にピースボートでサハリンに行ったときに
日本を想いながら、日本に帰ることができずにいる残留邦人に
「出会ってしまった責任」を果たさなくては、という思いからでした。
今、私は、昨年11月から御茶ノ水で開催されている
星野富弘花の詩画展(http://www.wlpm.or.jp/shigaten/)で会場ボランティアに入っています。
星野さんの詩画は、その時々の自分の状況によって、心に響く詩画がかわります。
最近の私にもっとも響いたのは、星野さんが
ある冬の日に、ふるえながら行った教会で聞いたという、このことば
「あなたが苦しむことなく成功したとしたら、
誰かがあなたの代わりに苦しんでくれたのです」
「成功」ではなく「生きてこられた」ということばに置き換えてみると
サハリンに残された人たちも、水俣病で苦しんだ人たちも
私達が苦しむことなく生きてこられたのは…と読むことができるのです。
水仙の花が描かれたこの詩画を、
今、私はボランティアに入るたびに心に刻んでいます。