瞽女の文化を知る・伝える・発信する

藤圭子さん死亡のニュースに関連して「瞽女」ということばが多くのツイッターやブログに登場しました。「瞽女」と書いて「ごぜ」と読み、「盲目の女旅芸人」といわれます。藤さんのニュースで初めて「瞽女」ということばに接した方も多いのではないでしょうか?

三味線を弾き、歌を唄って門付けをした瞽女さんは、かつては日本各地にいたといわれますが、とくに有名なのが新潟県の高田瞽女と長岡瞽女。彼女たちが芸能者として、盲目ながら自立した生活を送り、行く先々の農村では年1回の瞽女さんたちの来訪を心待ちにしていた、ということは、意外と知られていません。ちょうど今、新潟県上越市立総合博物館では「高田瞽女最後の親方 杉本キクイ」展を開催中(http://www.city.joetsu.niigata.jp/site/museum/)ですが、キクイさんが亡くなって今年で30年。あらためて「瞽女の文化」に注目が集まっています。

そこで【ゆう・えん】では、来る10月5日(土)に瞽女さんたちが住んでいた町、上越市高田で「瞽女の文化を知る・伝える・発信する」と題したシンポジウムを開催します。今だからこそ、学びたい<瞽女さんたちの暮らしと地域の絆>。瞽女さんを知ることは、私達にとって、現在の生活を見直すきっかっけになるはずです。ぜひご参加ください!

http://yuen-net.com/event/goze20131005.html

杉本キクイさんと弟子のシズさん、コトミさん

杉本キクイさんと弟子のシズさん、コトミさん

【ゆう・えん】が1歳になりました!

人気商品は「お江戸まちあるき」。山口先生の解説が大好評です。

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きのうは我が社【ゆう・えん】が1歳の誕生日を迎えました!
去年の4月23日に夢と希望を詰め込んで生まれてきた【ゆう・えん】
だったのに…なんと1年前には想像もしていなかった忙しさでお誕生日のことをすっかり忘れていたのです。
でも昨夜、5月26日(日)に開催する「松井久子の仕事」(両国門天ホール)の打合せで、松井監督やスタッフのコユキちゃんと話していたら突然思いだし!その場で、ワインの乾杯をしていただきました。
何歳まで育てられるかわかりませんが、ほんの少しずつ成長しています。ご支援の程、よろしくお願いいたします。
というわけで、こちらがHPです。http://yuen-net.com/   遊びにいらしてくださ~い!

ふるさとは樺太~サハリン残留日本人の今

昨年暮れの28日夜、MLに札幌の友人からの
「斎藤さんが?!」という投稿が…
彼女が夜中に朝日新聞の道内版を読んでいたら、
いきなり斎藤の写真が目に飛び込んできた、というのです。

実はこの記事、朝日新聞北海道支社の熊井洋美さんと石橋亮介さん、
2人の若い記者が7回シリーズで
「サハリン残留日本人の今」について伝えた連載記事の最終回でした。
とくに熊井さんはとても熱心に、私が引き継ぐことになった
新生 日本サハ

リン協会を取材してくださって、
これからの支援を、
新聞記者の目で暖かく見守ってくださる姿勢がとても印象的でした。

23年間続いた日本サハリン同胞交流協会は
中心になった方々が高齢になったため活動を終了することになっていたのですが

サハリンから一時帰国した方々&長年支援してきた方々と

現実には、まだまだ支援を必要とする人たちはたくさんいらっしゃって
このまま協会をなくしてしまうわけにはいかない…という状況になっていたのです。
サハリン残留の方々、サハリンから永住帰国した方ばかりでなく
これまで自分たちの生活を犠牲にしてまで親身な支援を続けてきた方々のためにも
誰かがこの事業を引き継がなくては…ということで後継の組織を立ち上げました。
たまたま代表となった私を含めて
新たな組織の中心になってくださる方々の多くが
もともとサハリンには縁のなかった人たちです。
今まで活動を担ってきた方々が、サハリン出身だったり、サハリンに親族がいたり、と
何らかの形でサハリンに関係していたのとは大きく違っています。
そんな私達がなぜ、このように活動を引き継ぐことにしたのか、
私に関していうと、1988年にピースボートでサハリンに行ったときに
日本を想いながら、日本に帰ることができずにいる残留邦人に
「出会ってしまった責任」を果たさなくては、という思いからでした。

今、私は、昨年11月から御茶ノ水で開催されている
星野富弘花の詩画展(http://www.wlpm.or.jp/shigaten/)で会場ボランティアに入っています。
星野さんの詩画は、その時々の自分の状況によって、心に響く詩画がかわります。
最近の私にもっとも響いたのは、星野さんが
ある冬の日に、ふるえながら行った教会で聞いたという、このことば
「あなたが苦しむことなく成功したとしたら、
誰かがあなたの代わりに苦しんでくれたのです」
「成功」ではなく「生きてこられた」ということばに置き換えてみると
サハリンに残された人たちも、水俣病で苦しんだ人たちも
私達が苦しむことなく生きてこられたのは…と読むことができるのです。
水仙の花が描かれたこの詩画を、
今、私はボランティアに入るたびに心に刻んでいます。

朝日新聞北海道版(2012年12月28日)

 

アットホームなお初釜を「たん熊」で堪能

寒中ながら、穏やかに晴れたきのうは<お初釜>でした。

ここ数年、私達のささやかなお初釜は
東京ドームホテルにある「たん熊」さん(http://www.yugyoan.co.jp/tokyo/)のお茶室をお借りしています。
ここの素晴らしいところは、まず第一に
お初釜で、お茶席とともに(時としてそれ以上の?)楽しみでもあるお祝い膳が美味しいこと!
第二に、こぢんまりしていて、とても落ち着けるお茶室と使い勝手のいいお水屋があること。
そして第三に、これも私達には本当にありがたいことで、とてもいいお道具がお借りできること。
三拍子揃った「たん熊」さんでのお初釜は、いまや私達のお稽古始めの定番となっています。
今年はまもなく3歳になる瑠南ちゃんが、お茶のお稽古をしていたパパと初参加。
和やかで楽しいひとときでした。
お菓子は、根岸の竹隆庵岡埜(http://nttbj.itp.ne.jp/0338734617/index.html)の花びら餅と
京都・亀末廣のお干菓子「京のよすが 四畳半」(http://www.kyomeibutuhyakumikai.jp/kamesuehiro.htm)。
お濃茶はお正月の贅沢、一保堂の青雲。やっぱり美味しゅうございました。

Monkeys1956 忘年猿会!

私にしてはめずらしく、当日にアップです。
今夜は1956年生まれ申年の猿会(えんかい)。
年の瀬ということもあり、主婦だったり介護中だったり、仕事納めの宴会だったりで
参加者は14人とこじんまりとした会になりましたが
予想通り、参加者は個性豊か!
「もはや戦後ではない」ということばが流行語になった1956年は
日本が国連加盟で国際社会に復帰した年であり
同時に、水俣病が公式確認され、
東海村に原子力研究所が発足した年でもありました。
それぞれの場所で、1956年をなぜか自覚している申年たち。
2016年の還暦に向けて、静かな、しかし熱い想いを繋いでいくことを
確認し合った…かどうかはわかりませんが
初対面でもすぐ打ち解けてしまえるのは申年同士の強みかもしれません。
2016年8月6日(なぜかこの日に決まっている?!)の還暦大猿会が楽しみです!

辻調理師学校のおせち

毎年、12月になると友人宅に京都から届く辻調理師学校のおせち。
今年もご相伴にあずかり、早々お正月気分を味わってしまいました。
非売品のこのおせちは、調理学校の研究用とのことで
贅沢な食材がぎっしり詰まっていて、質も量もいうことなし。
針魚、さごし、締め鯖燻製、鶉、蛸…どれも美味でした。

ご馳走様でした!

野菜王国 北海道に感動!その2

仕事の関係で札幌に月1回くらい行くようになって
始めて知った北海道野菜のおいしさ!
本州から行くとどうしても魚介類に目がいってしまいますが
(確かに厚岸の牡蠣も小樽のシャコも絶品!)
野菜がスゴイ☆ということを最近知ってしまった私。
今月はネット特別価格でなんとツイン朝食付き9000円(4500円/人)で宿泊した
ホテルセンチュリーロイヤルの朝食ビュッフェに感動。
写真ではよく分からないかもしれませんが、
この1プレートには

阿寒のエゾシカ肉のジンギスカン/ホタテのプロバンサル/洞爺湖の越冬ゴボウの赤ワイン煮/真狩のポロ葱のコンソメ煮/キャベツとモヤシのジェノベーゼ/幕別の長芋のステーキ/パプリカのグリル/かぼちゃの小豆煮/ゴボウ・山ウド・赤カブの漬け物/長芋のわさび漬け/塩葱エリンギ/蒸野菜(シャドークイーン・かぼちゃ・トマト・白菜)/タンドリーチキン/知床鶏のキーマカレーが入っていて

さらに北海道野菜ミックスのオーダーオムレツ/足寄ゴーダチーズ/シャドークイーン・アボガド・豆のサラダ/ほうれん草パンにトマトジュースと朝から北海道野菜を満喫してきました。

北海道は野菜がスゴイ☆☆☆

 

 

 

 

羅漢工房

足利出身の漆工芸作家 浦野潔さんの個展に行ってきました。(2012.11/17~11/25)

会場のギャラリー乾はセンスのいい陶器や足利の織物を使った小物などが展示されている素敵なお店で、展示会はその2階で開かれています。 出身地 足利での初めての個展の新作はボタン。といっても。3cm四方くらいの大きなもので、千葉からいらっしゃった女性は帯留めにしたいとおっしゃってました。 浦野夫人はペンダントに、また会場にはスカーフ留めのブローチ使いにした作品も並んでいました。

でも私の一番のお気に入りは厨子。小さな空間に無限の宇宙を閉じ込めたような浦野さんの厨子は、天空に還って行った魂との交信装置のようです。 今はまだちょっと手が出ないけれど、頑張って働いていつか…と思っています。

昨日の足利は雲は広がっていたものの時折、日差しも感じられる穏やかな一日。 鑁阿寺(ばんなじ)の大銀杏が見事な黄葉でした。

羅漢工房 http://rakan-koubou.com/

 

二の酉~鷲神社(浅草)と花園神社(新宿)の違いが面白い

花園神社で見つけたドクロの熊手(誰が買うの?)

きのうは二の酉。
昼間は浅草の鷲神社(おおとりじんじゃ)へ行き、夜は新宿の花園神社の酉の市に行ってきました。
根岸に引っ越してからの12年間は、毎年鷲神社のお酉さまに行っていたのですが
今年は実に34年ぶりに花園神社の酉の市にも行ってみました。
34年前、好奇心から入ってみた見せ物小屋にショックを受けて、
一緒に行った友人と泣きながらお酒を飲んだ思い出がよみがえりました。
今年も見せ物小屋は、同じように営業していましたが、
34年前の怪しさやいかがわしさが感じられなかったのは
私が歳を取ったから、という理由だけではないでしょう。

そもそも酉の市は江戸近郊農村の歳の市です。
歳の市は神社やお寺の境内で農具や正月用具などを手に入れるもので
熊手は道具のひとつとして、縁起物になったわけですが、
その意味では神社は「場」を提供してはいるけれど、
市を主催していた訳ではありません。
賑やかな飲食店や露店は市の本質に関わっているといえるでしょう。
ところが鷲神社では境内は熊手市だけで、多くの人がお参りをして熊手を購入して出て行きます。今年は参拝者のじゃまになるということで、人出が多くなると、べったら漬けや暦のお店は境内から出されてしまっていました。
一方、それとは対照的に花園神社では参拝するより
露店での飲食がお酉さまの主要な行事であるかのように
多くの飲食店が境内に隙間なく軒を連ねていました。
さらに花園神社は「前夜祭」と称して、2日間の酉の市を開いていて
厳格に酉の日の0時から24時の開催としている鷲神社とは対照的でした。

神様を祀る「祭り」の様相を強めてきた鷲神社と
フェスティバル的「祭り」の要素が色濃く出ている花園神社。
対照的なお酉さま風景に、日本の祭りの変遷する姿が見えるようで
とても興味深い経験でした。

来年2013年は三の酉までありますが、
一の酉は3日(文化の日)、二の酉は15日の金曜日ですから
今年以上の人出があることでしょうね。
静かで厳かだったかつての鷲神社のお酉さまも
怪しくていかがわしかった?かつての花園神社のお酉さまも
懐かしい記憶の彼方になりそうです。

アイスプラントと札幌黄…野菜王国、北海道に感動!

このところ毎月、札幌に出張で出かけていますが
ともかく、美味しいものが食べられるので、毎回ウキウキと出かけています。
今月は小樽産のシャコと厚岸の牡蠣がメイン!と思っていた私に
今回、あらたなお気に入りが加わりました。
(もちろん、シャコと牡蠣も美味しくいただきましたが…)

それがタイトルの「アイスプラントと札幌黄」。
初めて聞く名前でした。
札幌在住1年にして、早くも札幌人になりきって
札幌ライフを満喫している友人が連れて行ってくれた
彼女のお気に入りのレストラン
ビストロ25(ヴァンサンク)http://r.gnavi.co.jp/h334900/は、
野菜を最高に美味しく食べさせてくれるレストラン。

ここで出会ったアイスプラントは
独特の食感と天然の塩味が感じられる不思議な味わいの葉っぱ。
そして、「幻のタマネギ」と呼ばれている、ともかく甘くてコクのある「札幌黄」は
ちょうどレストランに行く直前にみたTVの番組でも
「手に入らない」と放送していたので、出てきたときは大感激。
このほか、この時期の定番、ジャガイモとカボチャや
白いなすのパスタも最高でした。

来月からは野菜王国、北海道も楽しみのひとつになりました。